例祭:獅子神楽舞初式(1月3日)、獅子神楽舞上祭(4月17日)、例祭(12月5日)
敢國神社は、南宮山の麓に鎮座し、伊賀国一宮とされ、創建は658年。現在は大彦命と少彦名命、金山比咩命を祀る。伊賀地域に広く伝播する獅子神楽に大きな影響を与えた「敢國神社の獅子舞」は、県指定無形民族文化財に指定されている。伊賀の国は、複数の士族が連合(一味同心)し、談合で地域の平和を守っていました。彼らは他の地域から「伊賀衆」と呼ばれる事もあった。ここは祭礼を通じだ伊賀衆の結集の場となっていたと考えられる。
神社に伝わる「黒党祭」と呼ばれる祭りは、後に服部半蔵を輩出することになる服部一族の私的な祭りであったとされる。起源は定かでは無いが神事に携わる者は服部一族に限られ、黒装束に身を固める慣わしであった。敢國神社は、天正伊賀の乱の後、一時荒廃したが、その後再興に努めたのが、修験者の小天狗清蔵や藤堂藩初代藤堂高虎である。修験道は忍術に影響を与え、藤堂藩は「忍びの衆」とも呼ばれた伊賀者を召抱えていた。その2人が再興に尽くした事は伊賀者の氏神であった事と関係しているかもしれない。