遺構:城址
城郭の種類:平山城
天守構造:なし(天守台はあり)
築城年:11618年
築城主:小笠原忠真
旧名鶴の城、後荻生の門人片山兼山が喜春城とめいめいした。1618年に城主小笠原忠真が徳川秀忠の命により幕府の援助をうけて岳父にあたる姫路城主本多忠政の協力を得て築城した。所領10万石にふさわしい城として、また西への備えの城として大きな役割を果たしてきた。
本丸を中心に配し、東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷郭が設けられた。本丸、二の丸、東の丸は明石城の主郭部分で、この部分の石垣、土塁、堀などの作事は徳川幕府が担当し、三の丸と町屋に関しては、小笠原氏と徳川幕府の共同事業として進め
天守台は作られたものの天守は建設されなかった。かわりに四隅に巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓が建設された。4基のうち南側の2棟、すなわち巽櫓(たつみやぐら、南東側)、坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)が現存し国の重要文化財に指定されている。巽櫓・坤櫓の棟(破風)の方向は異なっている。西側は明石川を自然の外堀とし、南側は運河を掘って港を兼ねた外堀(現在の明石港)とした。北側は鴻の池(剛の池)と自然林、谷筋で防備を固めた。
また、現在も本丸を中心とした石垣や縄張りなどの遺構が良く残る。