種類:坂の上の雲 秋山好古 秋山真之
江戸末期の天保年間からこの地に在った秋山家は太平洋戦争によって焼失した。その後、日本全国からの有志の寄付によって撮影された写真や秋山家の子孫からの聞き取り調査を加えて当時の家屋を復元した。4つ部屋に玄関と土間の構造に、様々な写真や資料が展示されている。展示されている鎧は好古が住んでいた頃に在ったと言う証言に基づいて設置されている。裏には井戸が同じ位置に在り、好古の好物であったイチジクが植えられている。
常盤同郷会によって運営されている。敷地内には、道場があり真之所縁の柔道と合気道教室が開かれている。
秋山好古(1859-1930)
陸軍大将で日本騎兵の父と呼ばれている。日露戦争では、世界最強の騎兵隊と呼ばれたコサック騎兵隊を撃退して、勇名を馳せた。敵の猛撃にも一歩も退かなかったその有名は天下に鳴り響き、陸軍大将に栄進した。後、退役し、松山の北予中学校で校長に就任し、生涯最後の六年間を教育に情熱を注いだ。
-人生観-
「偉くなろうと思えば邪念を去れ、邪念があれば邪慾が出る。邪慾があっては大局が見えない。邪念を去るということは、偉くなる要訣だ」(松山の後輩白川大将に)
「人間は貧乏がええよ、艱難汝を玉にすと云うてね、人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。
"うき事のなおこの上に積もれかし 心のたけをためしてやみむ"
分かるかい。こういうように人間は苦しみと戦わんと偉い人にはなれんよ。
苦を楽しみとする心がけが大切じゃ」
秋山真之(1868-1918)
海軍中将。日露戦争では、連合艦隊の参謀として東郷平八郎を補佐し、日本海海戦にてロシア帝国のバルチック艦隊を全て撃沈させ連合艦隊を完勝に導いた。日露戦争に勝利した後も冷静に国力を分析し、国の将来を憂いていた。その為、空軍と潜水艦隊の強化を説き、中国革命の父・孫文を支援。アメリカと戦う事の非を唱えた。
「本日天気晴朗なれども波高し」(日本海々戦で敵艦隊見ゆ---の電文末尾に加筆)
聯合艦隊解散式における訓辞
(結語部分―東郷平八郎大将朗読の原稿は眞之が起草したといわれる)
「神明はただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より、直ちにこれを奪う。
古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と。」
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