浦上店主導遺壁
爆心地から北東約500m小高い丘にあった天主堂は、1895年から建築に着手し、信徒たちの献金と労働奉仕により、1914年に献堂式を挙げた。そして、1925年に正面の双塔が完成し、大小の鐘がつるされた。
東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945年8月9日、午前11時2分、原子爆弾の炸裂により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。この壁は聖堂の南側の一部で、1958年に新しい天主堂建設の為にこの地に移築された壁上の石像のザペリオと信徒である。
被爆当時の地層
原爆落下の中心地にあたるこの地層には、原爆によって壊された家の瓦やレンガ、熱によってやけた土や溶けたガラスなどが現在でも大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な実相を示す被爆資料として、現地に保存してある。
聖徳寺灯篭
1626年の創建の寺院で、原爆の爆風にも耐えた灯籠である。