宗派:天台宗
寺格:東北大本山
開基:慈覚大師
創建:850年
正式名称:関山 中尊寺
中尊寺は850年、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれてる。その後、藤原清衡が奥州六郡を伝領し奥州藤原氏を興し、平泉に居を構えたとき、かつて関所のあった関山に中尊寺を造営した。その規模は寺塔40余りの巨大な寺院となる。現在は金色堂のみが現存する建築物ではあるが、その美しさは格別である。
平安末期、源平合戦の際、源頼朝の弟義経は一時平泉で青年時代をすごす。その後、兄頼朝の挙兵に呼応しはせ参じた。源氏の軍勢を率いた義経は平家を滅ぼし英雄となるが、弟の人望を恐れた頼朝によって身を追われる事となる。1187年、義経は再び奥州藤原三代秀衡を頼り平泉に身を寄せる。同年、秀衡が病没すると、四代泰衡は頼朝の圧力に負け、義経を自害に追い込む。しかし、その後奥州は鎌倉の軍勢に攻め込まれ1189年、奥州藤原氏は滅亡する事になる。
吾妻鏡には、頼朝が平泉に入った時、町は完全に廃墟と化し人影すらなかったと伝えている。その時、平泉の寺院を巡礼したときに、仏教文化に感銘し、中尊寺二階大堂にならって鎌倉に永福寺を建立する。
その後、鎌倉幕府の庇護を受けるが、藤原氏の滅亡により徐々に平泉全体が衰退していく。中尊寺も例外ではなく、室町時代から戦国時代の戦乱の中も中尊寺は金色堂や寺宝を守り続け現在に至る。江戸時代は江戸上野寛永寺の末寺となるが、松尾芭蕉が中尊寺の荒廃ぶりを嘆いた。
1909年に本堂が再建。1950年、金色堂須弥壇に800年もの間、藤原四代の遺体が安置されている事が判明し、1958年に、天台宗東北大本山の称号を天台宗総本山延暦寺より許された。
金色堂
奥州藤原氏初代清衡が1124年に建立。平安時代の浄土教建築の代表例の一つであり、当時の最高の技術で作られた建築物である。国宝に指定されている。中尊寺境内西よりに建っている。現在は、鉄筋コンクリート造の覆堂で保護されており、さらにガラスケースによって外気と遮断されている。須弥壇内には藤原四代のミイラ化した遺体が安置されており、中央壇に清衡、右壇に基衡、左壇に秀衡の遺体が納められ、右壇には泰衡の首級も納められている。
月見坂
中尊寺表参道で、樹齢300年から400年の見事な杉並木が続く。平泉の歴史の深さを感じる参道である。
白山神社能舞台 重要文化財
中尊寺の鎮守・白山神社内に建つ。1853年に仙台藩によって再建されたもの。近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされる。
オフィシャルホームページ http://www.chusonji.or.jp/index.html
(参照:オフィシャル情報).