天守:復元天守
城郭の種類:山城
天守構造:3重3階 独立式望楼型
築城年:1201年
築城主:二階堂行政
岐阜城は、1201年に二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされる。1539年に、斎藤道三が稲葉城山頂に城郭を造り本格的な山城へと変貌を遂げる。その後、織田信秀・信長の幾度と侵攻されるが、その都度撃退した堅固な城である。1564年に1度、竹中半兵衛重治によって一時乗っ取られるが、1567年に信長によって攻め落とされるまで難攻不落の城であった。稲葉山城を掌中に収めた信長は、この地を中国の周王朝の文王の古事にならい、岐阜と改名し、天下布武の朱印を使うようになる。稲葉山城の山頂からの景色が信長に天下を発想させたのかもしれない。
1576年、信長は嫡子信忠に岐阜城の城主として織田家の家督と美濃尾張の二国を譲る。信忠はさらに造営し、現在の規模となる。その後、関ヶ原の戦いで徳川家康によって廃城にされる。現在、山頂に天守が復元されている。他に、山頂本丸には資料館もある。
信長の天下統一の野望の架け橋と成った城であり、また豊臣秀吉の千成瓢箪の生まれた場所でもある。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)