種類:歴史観光 名称巡り 伝統家屋 一人旅
合掌集落
相倉地区:
相倉は、五箇山の北側に位置する集落。20戸の合掌造りの家屋があり、宿初施設として利用している合掌造りもある。また郷土資料館として2棟公開している。
菅沼地区:
菅沼は、五箇山の西側に位置する地区。9戸の合掌造りの家屋があり、二月にはライトアップが行われる。2つの郷土資料館が合掌造りを利用して展示してあり、特に合掌造りで生産されていた塩硝(火薬)の生産工程を展示した資料館がある。
上梨地区:
上梨は、五箇山の中央に位置し、合掌造りの家屋が数棟現存する。中でも、村上家は織田信長の時築400年以上も経つ伝統家屋で、資料館として一般公開している。村上家ではこきりこ節の実演も行われている。
岩瀬家住宅
岩瀬家住宅は、五箇山南西に残る合掌造り。築300年で、現在は一般公開されている。
五箇山の歴史
五箇山は1183年に起きた源平合戦の平家の落人によって作られたと言われている。証明する歴史資料は無いが、現存する伝統家屋には平家の家紋が多く刻まれている。江戸時代は、加賀藩預かりとなり政治犯流刑地として利用された。
合掌造り
合掌造りは日本の北陸を中心とした日本海側の豪雪地帯で見られる建築用法で、かやぶき屋根が二枚合掌している手の様な形からこう呼ばれている。かやぶき屋根は60度で合わさり、積もる雪の重みに耐えられ、また雪かきが簡単に行える様な工夫からこの構造になった。太陽が良く当たるように、屋根は東西に向いている。かやぶき屋根は20年から30年で張り替えられる。この作業は結束を意味する「結」と呼ばれている。この時は町民総出で行われる。また、一切の金属を使わずに建築されている。
間取りはどの合掌造りでもほぼ同じで、一階は8部屋に区切られその内の4つは土間や台所、玄関として使われて、残り4部屋が居住区となる。2階、3階は養蚕として使われていた。
塩硝
この地方は、戦国時代より塩硝の産地として知られる。実際は、鉄砲が伝来するよりも以前から塩硝の生産は行われていた。塩硝は、蚕を使った特殊な方法で製造され、合掌造りの2階と3階はその為に設けられたと考えられている。江戸時代には、五箇山の経済は塩硝の生産が中心であった。
注意
たばこは厳禁。指定された箇所でのみ喫煙する事。
公道以外には立ち入らないこと。全て私有地である。
地元の車優先で、細い道には来るまで入らない事。
朝早く、また深夜遅くの集落の訪問はしない事。
ゴミは持ち帰ること。
オフィシャルホームページhttp://www.gokayama.jp/index2.html