以降:現存天守
城郭の種類:平山城
天守構造:単独三重三階
築城年:1611年
築城主:津軽為信
弘前城は、戦国時代より現在まで残る現存十二天守の一つ。青森県弘前にある平山城で国の史跡に指定されている。現在の天守は2代目であり、もともとは5重の天守が立っていた。しかし、1627年に落雷によって消失し、もともとあった三階櫓を1810年に改築して天守となした。天守以外にも、北門・南内門・東内門・手門・東門の5つの城門と、丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓の三つの櫓は正確な年代は分からないが江戸初期からある建築物である。
弘前城の歴史は、1590年に起きた豊臣秀吉の小田原城の攻防で武功のあった、大浦為信が現在の弘前の地に領土を与えられた事から始まる。このとき、大浦氏は津軽氏と名を改める。為信は当時の城郭から現在の弘前城の位置に城を移すことを決め、1594年に築城を開始する。完成は息子の信枚の代である。津軽氏は1600年の関が原の戦いでは東軍家康に味方し、その武功で領土を2000石加増され現在の弘前藩が生まれた。
天守
天守は現存天守の一つに数えられる。本丸に残る唯一の建築物でも有り、層塔型三重三階の天守である。高さは14.4mと現存天守では一番小さい。もともとは5重の見事な天守閣が存在したが、1627年に焼失。変わりに櫓を改修し天守となした。しかし、幕府への配慮から御三階櫓と呼ばれた。内部からは武者落としや鉄砲狭間などの戦闘の工夫が見られる。構造も単純であり、倉庫として利用されていたと考えられる。現在は歴史資料館として利用されている。
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