天守:外観復元天守
城郭の種類:平城
天守構造:5重5階 複合連結式望楼型
築城年:1599年
築城主:毛利輝元
広島城は日本の百名城の1つで、日本三大平城とも言われている。
戦国時代、安芸の国を支配した毛利元就が、安芸国守護武田氏を滅ぼし当時の拠点吉田郡山城から瀬戸内に面したこの地に城下町を造り城を築いたのが始まりである。吉田郡山城は山陰と山陽を結ぶ交通の要所であった物の山城で城下町を発展させるのに不向きであったために、瀬戸内に水運を行かせる場所に拠点を移す事が目的であった。
1588年、秀吉に招待され、小早川隆景や吉川広家と共に上洛した毛利輝元は大坂城や聚楽第に影響を受け近世城郭を建築する事をきめ築城を開始する。築城には名手の黒田如水が思案したと言われる。
関ヶ原の戦いの後、福島政則の改築があり現在の城郭の様子となった。城郭には5重5階の大天守に3重の小天守、櫓88基と当時としては最大級の平城であったとされる。
天守は昭和まで現存したが、原爆によって炎上し焼失した。爆風には耐えたが、その後の火災で焼け落ちてしまう。現在は1958年に外観復元天守が再建され、ほか多くの櫓や門が再建された。城趾の殆どは広島市に取り込まれてしまい、現在の遺構は少ない。
天守は歴史資料館の他、様々な体験コーナーがある。
オフィシャルホームページhttp://www.rijo-castle.jp/rijo/main.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)