旅籠紀伊国屋が新居宿で営業を始めた時期ははっきりしていないが記録では、1703年に徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿となっている。これは、現在の位置への移転前なので、宿内の老舗であった事は確かである。
1716年に「紀伊国屋」の屋号を揚げ、その後1745年までには帯刀、5人扶持を認められ、御用宿としての地位を固めた。敷地内に紀州藩七里飛脚の役所が置かれていた事もある。
主は、紀州の出身で江戸時代初期に新居に移り住み茶屋を営んでいた。その後約250年にわたり旅館業を続けていた。
江戸時代後期の紀伊国屋は間口5間の平屋造りで、部屋数12、裏座敷2、総畳数63畳と、25軒あった新居宿の旅籠の中では最大規模であった。1874年に大火で焼失し、二階建ての現在の建物が建てられる。江戸後期の旅籠建築様式は随所に残る。