例祭:10月第一土・日曜日
伊賀八幡宮 由緒
1470年、松平親忠が子孫繁栄・武運長久の守護神、氏の神として創建された。
1536年、織田信秀が岡崎の城を攻め取ろうとした時、松平広忠は氏の神、伊賀八幡宮に戦勝を祈願して、織田勢を井田ヶ原に迎え撃った。その時に白馬にのった若武者が現れ出て、敵陣めがけて白羽の矢を放った。すると伊賀八幡宮の神殿が鳴動し、宮の杜の上から黒雲沸きのぼり嵐をよび、たくさんの矢が雨のように敵陣にとんだ。たちまち、二万余りの敵は敗走していった。広忠は伊賀八幡宮のご加護なりと感激し、みずからそのやを拾い神前に奉納した。家康も崇敬の念をきわめて篤く、初陣の参詣を吉例に、以後大きな合戦の前には必ず祈願した。桶狭間の合戦でも伊賀八幡宮の鹿の御使いによって難を逃れるなどの逸話もあり、関ヶ原の合戦や、大阪の陣の際も様々な吉兆が現れる。
徳川・松平氏の崇敬も篤い神社であるが、勝利祈願にあやかって多くの人が現在も参拝する。
文化財
本殿:1611年徳川家康公によって造営。権現造りの本殿は入母屋造が普通だが、伊賀八幡宮は流造りになっている珍しい建物。(国の重要文化財)
「本殿}「幣殿」「拝殿」の三連で権現造りとなっている。
幣殿、拝殿:1636年三代将軍家光公によって本殿に増設し、造営。 (国の重要文化財)
随神門:国の重要文化財
神橋(石橋):1636年建立 国の重要文化財