天守:木造模擬天守
城郭の種類:平山城
天守構造:3層3階 層塔型
築城年:1585年
築城主:筒井定次
1581年に、伊賀平定を果たした信長が、滝川雄利に伊賀国を与えた際、平楽寺砦の跡に砦を築いたのが始まりである。その後、筒井定次が伊賀に入封し、本格的な築城を開始する。
関ヶ原の戦いの後、藤堂高虎が徳川家康によって伊賀の国に移封された。築城の名手である高虎は大坂にいる豊臣家に対する決戦の備えとして大規模な城塞建設を家康に命じられる。これは、大坂城攻略の際、万が一撤退の事態に及んだ際は、籠城の要として利用する予定であったため、大人数の兵を収容できる造りとなっている。天守は建設中に倒壊してしまい、その後大坂の陣によって豊臣家が滅亡すると、大規模な天守の建造は禁止され、その後再建すること無く明治まで続く。
城造りの名手高虎の見事な石垣は「打込はぎ」様式で高さ約30mの威風堂々な姿である。また、現在の天守は3層3階の模擬天守だが、木造建築としては最後の日本の天守である。
オフィシャルホームページhttp://www.ict.ne.jp/~uenojyo/#01
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)