種類:歴史観光 武田信玄
1582年、織田信長の長男・信忠によって高遠城が落城すると、勝頼と彼の家臣は家族を連れて岩殿城まで退去する事を決める。岩殿城は甲斐と相模の国境に有り、一族の小山田氏によって支配されていた。ここまで落ち延びて小田原北条氏の援助のもと捲土重来を図る。しかし、3月9日に小山田は勝頼を裏切り岩殿城の門を硬く閉ざした。すでに、4000千の信忠の軍勢に包囲されていた勝頼は、天目山を目指す。ここで、武田信玄の孫・信勝を元服させ、甲斐武田氏の最後の当主とする。元服に使われた武田家の家宝盾無しは元服の後、別の地に運ばれた。
鳥居畑の戦いで破れ、自害する。享年37歳。後に、武田家の菩提寺として景徳院が建てられた。信勝や北条夫人と共に静かに眠る。