天守:木造模擬天守
城郭の種類:平山城
天守構造:3重
築城年:15世紀中頃
築城主:朝比奈泰煕
掛川城は、駿河守護今川氏が朝比奈氏命じて15世紀中頃に築城されたとされる。戦国時代、東海道の要所として重要視された。
1568年、桶狭間の戦い以降没落する今川氏が武田信玄、徳川家康の両大名から攻められた時に、駿府を破棄した今川氏真が掛川城に逃げ込んだ。堅固な城は徳川勢の包囲にも耐え落城しなかった。
1569年、今川氏真は小田原城に退去し、徳川家康の所領となる。その後、武田信玄との戦いにおける最前線の城となり激しい攻防の舞台となる。
1590年に家康が関東移封されると、豊臣秀吉の家臣で山内一豊が入城する。一豊は掛川城を拡張し、天守や石垣を増設し現在の城郭の姿となる。
関ヶ原の戦いの武功で一豊は土佐一国が与えられる。その後、多くの大名が入城し、太田氏(道灌の一族)が最終的に入城する。幾度と地震に見舞われ天守は崩壊し、その後は再建される事は無かった。
現在1861年に再建された二の丸御殿が現存し、国の重要文化財に指定されている。他、石垣や堀、土塁の一部も残っている。天守は3重4階木造複合式望楼型の天守が1994年に再建され、掛川のシンボルと成っている。
オフィシャルホームページhttp://www.k-kousya.or.jp/kakegawacastle/index.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)