天守:無し
城郭の種類:山城
天守構造:無し
築城年:12世紀
築城主:平通盛
金ヶ崎城、12世紀の源平合戦の際、平通盛が木曽義仲との戦いに備えてこの地に築城された城である。1336年に足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城。すぐに、足利尊氏の軍勢に包囲される。翌年に義貞は脱出するが、義貞の嫡男
1336年に足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城。すぐに、足利尊氏の軍勢に包囲され、兵糧攻めにあう。翌年に義貞は脱出するが、立て篭った義顕と尊良親王はこの城で自刃する。
丘の麓には尊良親王を祀る神社がある。
戦国時代、1570年織田信長が越前に侵攻すると、この城を攻め落とし拠点とする。しかし、浅井長政の裏切りにより退路を断たれ、信長は撤退を余儀なくされる。この時に、豊臣秀吉は殿を勤めてこの城に立てこもり、見事信長軍を無事撤退させた。
現在は、曲輪、土塁などが遺構として残る。国の史跡に指定されている。月見櫓跡からは、敦賀湾が一望出来る。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)