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金ヶ崎城

観光案内

金ヶ崎城(かながさきじょう)は、福井県敦賀にある平山城。敦賀湾に面した標高86mの丘の上に築城された城で、12世紀の源平合戦の際、平通盛によって築城された城である。新田義貞の息子・義顕が自刃城であり、また1570年の織田信長の朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りによって撤退を余儀なくされた信長軍の殿を豊臣秀吉がこの城に篭り勤めた。国の史跡指定されている。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有】

アクセス
敦賀駅より徒歩30分。


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周囲の地図情報 金ヶ崎城

詳細案内

金ヶ崎城

天守:無し
城郭の種類:山城
天守構造:無し
築城年:12世紀
築城主:平通盛

金ヶ崎城、12世紀の源平合戦の際、平通盛が木曽義仲との戦いに備えてこの地に築城された城である。1336年に足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城。すぐに、足利尊氏の軍勢に包囲される。翌年に義貞は脱出するが、義貞の嫡男
1336年に足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城。すぐに、足利尊氏の軍勢に包囲され、兵糧攻めにあう。翌年に義貞は脱出するが、立て篭った義顕と尊良親王はこの城で自刃する。

丘の麓には尊良親王を祀る神社がある。

戦国時代、1570年織田信長が越前に侵攻すると、この城を攻め落とし拠点とする。しかし、浅井長政の裏切りにより退路を断たれ、信長は撤退を余儀なくされる。この時に、豊臣秀吉は殿を勤めてこの城に立てこもり、見事信長軍を無事撤退させた。

現在は、曲輪、土塁などが遺構として残る。国の史跡に指定されている。月見櫓跡からは、敦賀湾が一望出来る。

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)