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鹿嶋

観光案内

鹿嶋(かしま)は、茨城県に霞ヶ浦の西にある剣聖・塚原卜伝の街。建立紀元前660年、戦いの神様を祀る鹿島神宮を中心に発展した都市で、現在も多くの武道家が崇敬し、香取神宮と合わせて参詣する武道家の聖地である。剣聖・塚原卜伝は室町時代に活躍した剣豪で、歴史上最も強い剣術家として知られる。その戦いの歴史は宮本武蔵も遥かに及ばない。鹿島には、奥義「一の太刀」を開眼した鹿島神宮や卜伝の墓などが各所にある。他に、鹿島には巨大な海岸があり、また海の幸と霞ヶ浦の川魚が同時に楽しめる事でも知られる。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有】

アクセス
鹿嶋臨海線鹿島神宮前駅周辺。


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鹿嶋

種類:歴史観光 一人旅

塚原卜伝
塚原卜伝は、室町時代(戦国時代)に活躍した剣豪で兵法家。鹿島新当流の創始者。歴史上最強の剣豪とされ剣聖の称号を持つ。

1489年に鹿嶋で生まれる。塚原卜伝の実父は鹿島神宮に仕え、鹿島に伝わる剣術「鹿島の太刀」を学んでいた。塚原卜伝は、生後しばらく父にこの剣術を習う。その後、塚原安幹の養子となる。塚原安幹は、香取神道流の達人であり、卜伝は養父から香取神道流を学ぶ。

16歳の時に、剣術の修行の旅に出ると、以後15年に渡り、真剣勝負19回と37回の合戦に参加し、6箇所の矢傷以外に一度も傷を負う事が無かった。彼が倒した敵の数は212人にも及ぶ。

一度目の旅を終えた卜伝は、多くの死に直面し精神的に憔悴しきってしまう。そこで彼の父は鹿島神宮に仕え修行することを進める。1000日の禊と厳しい稽古の末に神のお告げを得る。この時から卜伝と名乗るようになる。

二度目の旅は、木刀を持ち諸侯に剣術の指南をしながら旅を続けた。10年の後、父が死去した為、鹿島にもどる。この時塚原城の城主となり、領地を統治し、郷土の郷士の剣術指導を行った。

70歳の時に、剣術の奥義を完成させ「一乃太刀」と名付ける。最後の旅を初め、この一乃太刀を指導して回った。その中には室町将軍足利義輝なども含まれる。甲斐の武田信玄も訪れて彼の武将の指導も行った。

1566年に最後の旅を終えて鹿島に戻り、1571年に没する。

無手勝流のエピソードなどの逸話がある。

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)