開基:伝・善仲、善算
創建:727年
正式名称:応頂山 勝尾寺
勝尾寺は、大阪平野の真北にそびえ数千年の昔より山自体の持つ霊力と1300年念じ込んできた念力による無類の聖地として崇拝されてきた。奈良時代初期727年、善仲、善算両上人が山中に草庵を構え、光仁帝皇子開成が、両上人を師として仏界を求め、765年弥勒寺を開設。「妙観」と言う観音化身の比丘と18人の仏師が白壇香木を持って、7月18日より8月18日までの間、身丈八尺の十一面観音菩薩を彫刻、本尊となす。よって全国観音縁日が18日と定まったのはこの事に由来する。
第六代座主行巡上人は、清和帝の玉体平癒を祈って効験を示した事により、王に勝つ寺「勝王寺」の寺名を賜ったが、寺側は王を尾の字に控え、以来「勝尾寺」(かつおうじ)と号す。
1184年、源平内乱による戦火に焼失した堂塔も頼朝によって再建され以後、勝王寺は各将軍より壮大な荘園の寄贈をうけ、広くは百済国王も帰依するに至り、法灯が脈々と現在に伝えられている。現存する薬師堂は源頼朝、本堂と山門は豊臣秀頼の再建である。
二階堂
第四代座主証如上人によって建立されたお堂で、その縁によって鎌倉期に法然上人も4年間止住され念仏三昧に入った。
開運
勝尾寺の仏法の祈願力には時の朝廷の権力も及ばなかった事から、王に勝つ寺「勝王寺」と清和帝が号した。よって源氏・足利氏等各時代の覇者達が勝尾寺に勝ち運を祈り、以来「勝運の寺」「勝ちダルマの寺」として勝運信仰の歴史をたどっている。
春の桜と秋の紅葉が特に有名で、大阪都心に近い、関西でも有数の紅葉の名所で知られる。
池泉回遊式の庭園を囲むように、燃えるような赤や黄色、紫に色づいた木々と、雄大な森の緑が放つ美しいコントラストが見事である。
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