天守:無し
城郭の種類:平山城
天守構造:無し
築城年:1457年
築城者:太田道真、太田道灌 親子
川越城は、日本100名城の一つで関東七名城の一つにもあげられる。古典には「河越城」と表記される事もある。
上杉持朝が古公方足利成氏の勢力に対抗する為に、1457年に太田道真・道灌親子に築城を命じて、建てられた平山城である。
1537年に後北条氏に占領され、1546年に上杉氏と北条氏で川越城を巡る合戦が行われる。半年にも及ぶ攻城せんの末、北条氏康の奇襲によって上杉氏は敗北。北条氏の支配下となる。その時に、家臣の大道寺氏を配置した。
1590年、豊臣秀吉の関東攻略の際、川越城は前田利家によって攻め落とされる。同年、関東移封となった徳川家康が酒井重忠に1万石で封じた。
1639年に、藩主となった松平信綱によって大規模な拡張が行われ、本丸、二の丸、三の丸、四つの櫓と12の門が備えられる大規模な城となる。
現存する本丸御殿は、1846年に焼失した二の丸御殿の代わりに松平斉典によって1848年に建てられた御殿である。当時の6分の1の規模が現存し、三間の大唐破風など、最高位の武家の格式を感じさせる威厳あふれる建物である。日本国内でも、本丸御殿が現存する例はきわめてまれであり、貴重な建築物の一つである。
オフィシャルサイトhttp://museum.city.kawagoe.saitama.jp/hommaru/