城郭の種類:平城
天守構造: 複合式望楼型5重5階(非現存、1597年築)
築城年:1334
築城主:和田高家
1334年、楠正成の一族和田氏が当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、岸和田の地名の起こりになったといわれる。その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、1640年に岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎える。岸和田城は別称「猪伏山ちぎり城」。「ちぎり」は、機のたて糸を巻く器具で、本丸と二の丸を連ねた形が「ちぎり」に似ているところから由来する。また、「千亀利城」とも書かれる。1827年に落雷により五層の天守閣が消失し、1954年に復元された。大阪の史跡に指定されている。
八陣の庭
1953年、当時の庭園設計の第一人者であった重森三玲によって設計監督された。庭石材料は作者が、一石一石選定した和歌山県沖ノ島産の緑泥片岩を用いた石組を京都白川産の白砂で囲み、一本一草入れない枯山水としている。テーマは諸葛孔明の八陣法を取り入れ、大将を中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配している。
本庭は城跡の保存を意識し、将来建築されるであろう天守閣から、さらに上空からの俯瞰を意識して作庭されたこれまでにない近代感覚にあふれた独自の創作による。