熊川宿は、若狭と京の都を結び、現在は鯖街道とも称される若狭街道の宿場町。安土桃山時代から江戸時代を通じて、物資流通の拠点として繁栄した。1589年に小浜城主浅野長政が近江と若狭を結ぶ鯖街道(若狭街道)の宿場町として整備した。
この町は西から下ノ町、中ノ町、上ノ町の三つに分かれ、宿場全体に沿って流れる前川とともに、今なお江戸時代以来の景観をよく残している。
荻野家住宅
屋号を倉見屋と号し、代々人馬継立の運送業を行う問屋を営んでいた。主屋は熊川宿最古の町家であり、主屋に隣接し街道に面して建つ荷蔵など、物流で栄えた熊川宿の中核であった問屋の姿をよく残している。国の重要文化財。
逸見勘兵衛家住宅
熊川村初代村長逸見勘兵衛の住宅跡。造り酒屋を営んでいた主屋と文庫蔵がある。江戸時代末期に立てられた伝統的な町家の外観は当時の宿場町の風情をよく伝えている。
熊川番所
熊川宿の東端に設けられた番所を復元したもので、「入鉄砲に出女」と言う言葉があるように、厳しい統制と物資の課税が行われていた。小浜藩士及び百姓町人の妻女の出国には、奉行などの裏判のある願書が必要であった。