天守:現存天守
城郭の種類:平山城
天守構造:2重3階 独立式望楼型
築城年:1576年
築城主:柴田勝豊
丸岡城は、戦国時代織田信長の家臣で、越前を領していた柴田勝家の甥、勝豊によって1576年に築城された平山城である。山の標高は17mあり、野面積みの高さ6.2mの石垣の天守台の上に立てられている。天守の構造は同じように現存天守である、犬山城や高知城と同じ構造になっている。
1582年の本能寺の変の後開かれた清洲会議によって、勝豊は長浜城が与えられ、城代として安井家清が置かれた。その後、徳川家康の次男・結城秀康が越前に入封し、丸岡城には秀康の家臣今村盛次が入城した。1695年に、有馬氏が入城し明治維新を迎える。
明治維新の際、天守以外は全て破棄された。
1948年に福井地震の為に倒壊。その後1955年に倒壊材を元通りに組み直して再建した。その時に、若干の改変が行われるも当時の姿を完全に復元している。
霞ヶ城の別名で知られ、日本さくら名所100選と日本の百名城に指定されている。
オフィシャルホームページhttp://www.city.fukui-sakai.lg.jp/kanko/03/p000025.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)