無双直伝英信流は、今日では最も盛んに行われている剣術流派の1つ。室町末期の剣豪・林崎甚助重信を開祖、流祖に長谷川主税助英信で、土佐に主に伝承していた。第17代の大江正路が土佐の山内豊建に伝承した流派を山内派と呼ぶ。
山越先生の指導方法は、無双直伝英信流の伝統的な稽古方法に従い型から始まる。型の習得が終わると型の理合に付いて説明を行う。
曰く「私達の剣術は刀を使っていかに人を殺すかを習得するのでは無く、刀を使っていかに生き抜くかを学びます。」山越先生の刀の技は、「生き抜くこと」の一言に集約される。
無双直伝英信流の歴史
無双直伝英信流は林崎甚助源重信が開祖と伝えられ、第7代・長谷川主税助英信を流祖とする。第9代林六太夫守政が土佐へと伝承していった。
林崎甚助源重信は、1546年に生まれ、伝1621年に没した、戦国末期の剣豪の一人。戦国時代に生まれ、様々な合戦に参加する事で戦場で生き抜く剣術を磨いていった。1547年に、父親が誅殺され、その仇討ちの為に楯岡城の武芸師範東根刑部太夫について武術に精進し、1556年林崎明神に参籠し祈念した所、神より居合の極意を伝授されたという。1561年に仇討ちを果たし、その後は諸国を旅し弟子を育て行った。直弟子には、田宮流開祖・田宮重正、関口流開祖・関口氏心などがいる。甚助より、6代後の第7代長谷川主税助英信が、伝承された技を整理し無双直伝英信流を称した。
第9代・林六太夫守政が土佐藩士で在ったことにより、英信流は土佐へと伝承されている。林は大森流の正座の居合を学び、英信流に技を取り入れていった。他に、太刀打の位、詰合、奥居合などが尽かされる。
中興の祖とされる第17代・大江正路は分裂していた、英信流谷村派と下村派の両方を学び技を整理し、大森流を「正座之部」、長谷川英信流を「立膝之部」として統合し、現在行われている内容に制定した。
第18代・山内豊健は、山内容道の孫で大江正路の下で英信流を学ぶ。山内豊健の技を継承している流派を山内派とよぶ。山内豊健は、1903年に生まれ、1946年に没した。英信流の他に柳生新陰流なども学んでいる。
無双直伝英信流の継承
無双直伝英信流は、宗家制では無く完全相傳の継承を行う。完全相傳は、宗家となる弟子を一人決めて伝承する不完全相伝では無く、技術の完全な伝承が行われた弟子には全て免状を出す制度を取っている。
その為、無双直伝英信流山内派の根元之巻を所有する伝承者は多く存在する。