種類:歴史観光 日露戦争 博物館
三笠は日露戦争における日本海海戦で活躍した旧日本海軍の戦艦である。連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将の旗艦として活躍し、日露戦争を日本の勝利に導いた戦艦の1つである。
日露戦争直後、1905年に佐世保港内で後部弾薬庫が爆発し339名の死者を出す大惨事を起こす。がすぐに修理され前線に投入された。その後は、第一次世界大戦にも参加している。1923年にワシントン条約によって三笠の廃艦が決定し、破棄される予定であった三笠だが、保存運動が勃興し、現役に復興できない状態にすることで保存が認められ現在に至る。
日本海海戦
日本海海戦はロシア戦争の局面の1つ。日本海軍の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が戦い、東郷率いる日本艦隊が一方的にバルチック艦隊を撃滅した戦いである。大規模な艦隊同士の海戦で、バルチック艦隊は全滅に対して連合艦隊はほぼ無傷という海戦史上希にみる戦いである。
1905年5月27日13時39分に連合艦隊南西方向約13キロの位置に2重のラインを敷きながら進軍するバルチック艦隊を連合艦隊は確認する。55分、針路を西にとり、バルチック艦隊への反航路接近の体制を取る。そして三笠はZ旗を掲げた。Z旗には「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」と言う信号文言が割り当てられていた。
両艦隊はそのまま接近し、14時05分、距離8000mの一で左舷取舵で約160度の回頭を指示した。この敵前大回頭は後「トーゴー・ターン」と呼ばれる様になる。この先方は縦列走行するバルチック艦隊に速度で勝る連合艦隊は強引に敵艦隊の先頭に覆い被さるように展開し強引にT字陣形を敷く戦法であった。
14時07分に両艦隊は同航砲撃戦を展開する。三笠には砲撃が集中するが、艦砲射撃精度においても勝る連合艦隊は30分頃までに優位に戦闘を展開するようになる。
14時35分にはさらに東に艦隊を展開し、43分頃までにはバルチック艦隊のウラジオストックへの進路も遮蔽した。この頃には、ロシアの旗艦クニャージ・スヴォーロフは戦線離脱、戦艦オスリャービャは撃沈する。この30分の砲戦で、バルチック艦隊は壊滅的被害を受け壊走を始める。
以後追撃線となり戦いは深夜遅くまた翌日まで続いたが、ロシアの巨大艦隊が僅か一日で海の藻屑と化してしまい、連合艦隊の圧勝で終わった。
オフィシャルホームページhttp://www.kinenkan-mikasa.or.jp/mikasa.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)