墓石は、江戸時代の宝筺印塔で、国指定の史跡に指定されている。右が按針、左が妻の墓である。三浦按針ことウィリアム・アダムスは1564年にイギリスのケントリジンガムで生まれる。後海軍に入り航海長や船長を務め、東洋探索隊に加わり、リーフデ号の航海長として1598年に東洋へ向かう。1600年に、台風に遭い遭難。豊後国に漂着。徳川家康によって厚く保護される。その後、家康の外交・政治顧問として活躍し、三浦の地を与えられる。その時に帯刀を許され、家康の旗本となる。その後日本人の女性と結婚し一男一女をもうける。
家康の没後、鎖国体制となり立場が弱くなると、長崎の平戸へ移動しそこで没する。享年57歳。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)