宗派:天台宗
寺格:格本山
開基:慈覚大師円仁
創建:850年
正式名称:医王山 毛越寺
毛越寺は、850年に東北巡遊に訪れた慈覚大師が、この地に足を止めた際一面の霧に包まれて動けなくなった時に、白鹿の導きによって出会った白髪の老人に、ここに堂宇を建立すれば仏法が広まるであろうとのお告げによって開山したのが始まりとされる。
毛越寺の本格的な興隆は、奥州藤原氏二代基衡から三代秀衡まで時代に多くの伽藍が造営された時期である。堂塔40、僧坊500を数える規模と華麗さであったが、奥州藤原氏の滅亡後、全ての建物が戦国末期までに消失してしまう。しかし、池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。1989年に平安様式の朱塗りの本堂が建立された。
1689年、松尾芭蕉が奥の細道でこの地を訪れ、悲運の義経主従を偲び、
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
と詠んだ。芭蕉直筆の句碑が境内にある。
本尊
本尊は薬師如来で、平安時代の作。脇士は日光・月光両菩薩、そして四天王が取り囲む。
浄土庭園
仏の世界である浄土を地上に表現したとされる庭園である。その景観は、大泉が池の浄水をたたえ、州浜、波返しの立石、枯山水、橋引石、荒磯風など、日本最古の庭園書である「作庭記」に基づいて造られた庭園である。800年以上前の理想郷が現在もほぼ完全な形で復元されている。
常行堂
1732年に建立。宝形造りの建築物で、須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神が安置されている。奥殿は33年に1度開帳される。
遣水
池の東北側にある。曲がりくねる水路で、毛越寺の遣水は平安時代の日本唯一の遺構である。毎年新緑の時期に平安貴族の宴の1つ「曲水の宴」が開かれる。
オフィシャルホームページhttp://www.motsuji.or.jp/index.php
(参照:オフィシャル情報)