築城年:推定15世紀末
15世紀末に伊勢盛時(北条早雲)の関東経略の拠点として整備され、後北条氏の関東支配後も伊豆支配の拠点としてその持ち城であったが、1590年には豊臣秀吉による小田原征伐において激しい攻防戦を経験している。龍城の異称を持つ。
韮山城は中心となる本城と天ヶ岳に配置された砦によって構成されている。さらに周囲には豊臣秀吉軍の陣城がある。本城は龍城山とも呼ばれる細い尾根上にあり、尾根の長さは約400m、幅は約100mある。北から三の丸、権現曲輪、二の丸、本丸の四つの曲輪が直線的に並び、本丸の南にも小さな曲輪がある。本城最高地点は標高約42m、標高差は31mある。
本城周りの低地には、幾重にも堀が廻っていた。