天守:非現存
城郭の種類:山城
天守構造:不明
築城年:1516年
築城主:浅井亮政
小谷城は、標高495mの小谷山の尾根の一つに稜線に沿って築城された山城で、戦国時代随一の堅固な山城である。
築城は正確には不明であるが、15世紀初頭に浅井氏によって築城された。
戦国大名の一人、浅井長政が非業の死を遂げた城で、妻お市との悲劇は現在も人気が高い。小谷山の尾根の一つに階段のように縄張りが配置され、中間を大きな空堀で仕切られている。下段の城が長政の居城として、上段は長政の父の隠居所として利用されていた。
浅井長政が何故義理の兄である、信長を裏切ったかは不明であるが、浅井氏は越前朝倉家の庇護の下北近江の支配に成功した。朝倉氏の忠義の心の為に、朝倉を襲った信長を裏切り朝倉に付いたのではと考えられる。信長は同盟の際は朝倉を攻めない事を約束したが、その約束を裏切った為に、金ヶ崎で信長の後背を付き彼を裏切った。
信長は命からがら京都へ生き残り、すぐに家康と共に復習戦を行う。織田・徳川連合軍は姉川で、朝倉・浅井連合軍を打ち破る。その後、信長は小谷城を包囲するが、最終的に落城させるのに3年かかり、1573年に秀吉によって落城する。
長政はこの城で自刃する。その後、小谷城は廃城となる。
遺構は、曲輪、空堀、土塁が残る。国の史跡に指定されている。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)