天守:外観復元天守
城郭の種類:平山城
天守構造:複合式望楼型 4重6階
築城年:14世紀中頃
築城主:上神高直
岡山城は、宇喜多直家によって築城された城である。起源は14世紀中頃に上神高直が岡山の地の石山に城塞を構えたのが始まりとされる。1570年に城主金光宗高を宇喜多直家は誅殺し、備中の国を支配に治めた直家は本拠地を亀山城から、石山城に移り、改築し城下町を作り上げた。直家が築城した石山城は現在の岡山城の西側に位置し、詳しい構造は明らかになっていない。
その後、跡を継いだ秀家が秀吉の寵を受け成長、秀吉の戦いに多く従軍し、その軍功により、57万石余を領する大大名となる。直家の石山城が手狭と成った為に、東にある岡山に新たに城郭を築城し、現在の姿となる。同時に岡山城に取り込まれた、石山城も合わせて改築された。総石垣造りに整備され、二の丸、西の丸は西側に位置し、内堀で区切られた構造となっている。東側は旭川の流れを変更し天然の堀とし、その北に後楽園を配して東の守りを強化している。城下町は山陽道を西端の三之曲輪に沿うように変更し、有力商人を集めて繁栄させた。
秀家は、関ヶ原の戦いの後、八丈島流罪となるが、岡山城は池田輝正の子孫によって幕末まで治められる。
現在の遺構は石垣、土塁、堀の他、戦火を免れた月見櫓、西之丸西手櫓があり、両基共国の重要文化財に指定されている。天守は、外観復元天守が1966年に再建された。
オフィシャルホームページhttp://www.city.okayama.jp/museum/okayamajou/history/history1.htm
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)