天守:復元天守
城郭の種類:平城、平山城
天守構造:5重5階地下1階 独立式層塔型
築城年:1583年
築城主:豊臣秀吉
大阪城は、豊臣秀吉によって築城された江戸城に次ぐ日本最大の城郭である。元は石山本願寺があった場所に、天下を統一した秀吉が権力と築城技術の全てを尽くして築城した城である。日本三名城の1つに数えられ、また国の特別史跡に指定されている。別名、金城、錦城とも呼ばれ、また「太閤さんのお城」としても親しまれる大阪のシンボルである。ただし、現在の城趾の遺構、現存する櫓や石垣は徳川秀忠によって大阪の陣で廃城となった城を再建された物である。
築城は1583年より、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が開始。完成には1年半を要した。本丸は本願寺跡の台地を利用し石垣を積み上げて造り、巧妙に縄張りを配置した高い防御機能を兼ねた城となる。その有効性は後の大阪の陣でも証明されている。秀吉が死去するまでに、二の丸、三の丸、総構えが建設され、3重の濠と運河によって完璧な防衛設備が整えられた、最強の平城である。秀吉築城の天守の構造は、5層の造りで黒塗り、金をふんだんに使った絢爛豪華な城であったと、絵画資料では描かれている。
秀吉は、聚楽第に移り、大坂城は豊臣秀頼の居城となるが、大阪の陣で落城し、家康の城攻めの為に、本丸を除く殆どの建物や濠は破棄されてしまう。豊臣氏滅亡後は、徳川家の天領となり、二代目将軍秀忠によって再建され1629年に完成する。現在の遺構は秀忠時代建築の物である。天守は大坂城のシンボルであるが、1665年に落雷で焼失し、以降再建はされていない。櫓や御殿、門などの建築物は明治維新の混乱で殆どが焼失してしまう。現在、城内には、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形などの建物遺構が残っており、国の重要文化財に指定されている。
オフィシャルホームページ http://www.osakacastle.net/
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)