松下村塾は、木造瓦葺平屋建ての小屋で、当初からあった8畳の1室と、後に塾生達との労力によって増築した10畳半の部分とからなってる。 吉田松陰の叔父玉木文之進がここからほど遠くない自宅で私塾を開き、松下村塾と名付けた。ついで久保五郎左衛門がその名を継承し、子弟の教育にあたった。 1857年11月5日、28歳の松蔭がこれを継ぎ、幽囚室からここに移り講義を行った。1858年11月29日までの1年間塾生達とすごした場所である。松下村塾では、身分にとらわれず集まった若者達を、強い志と誇りを持ってる行動する日本人に育てた。