種類:藩校
崇廣堂は、1821年に伊勢津10代藩主藤堂高兌の時代に伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために津の藩校有造館の支校として建てられた物である。
創建当時は、講堂、北控所、表門、御成門、母屋、玄関など講堂を中心とする文場のみであったが、武場もその後に設けられ、馬術・槍術・柔術など各流派の練武場が設けられた。現存するのは、文場のみである。
崇廣堂(すうこうどう)は、三重県伊賀市にある旧藩校。現存する数少ない江戸時代の藩校である。赤門の愛称で親しまれており、伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため、伊勢津10代藩主藤堂高兌によって作られた。当時は武場と文場があったが、現存するのは文場のみである。武場には様々な流派の師範が招かれ道場を開いていた。文場はほぼ完全な形で現存しており、国指定の史跡と成っている。
観光情報
駐車場【無】
トイレ【有】
料金:大人200円、大・高150円、小・中100円。団体割引有。
時間:9:00~16:30
アクセス
上野市駅から徒歩すぐ。
200 JPY
30 min
種類:藩校
崇廣堂は、1821年に伊勢津10代藩主藤堂高兌の時代に伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために津の藩校有造館の支校として建てられた物である。
創建当時は、講堂、北控所、表門、御成門、母屋、玄関など講堂を中心とする文場のみであったが、武場もその後に設けられ、馬術・槍術・柔術など各流派の練武場が設けられた。現存するのは、文場のみである。