宗派:天台宗
開基:勝道上人
創建:766年
正式名称:日光山 輪王寺 大猷院
日光山は、奈良時代に勝道上人によって開山された。男体山などの日光連峰を霊峰とする修験場として栄え、平安時代には空海、円仁などの高僧の来山があったと伝えられる。鎌倉時代には源頼朝の寄進などが行われ、関東一の大霊場とされた。江戸時代には、徳川家康の廟所として東照宮が建立され、その後三代将軍家光の廟所として大猷院が建立された。現在、日光山の二荒山神社・東照宮・輪王寺はユネスコの世界遺産に登録されている。
大猷院は日光山輪王寺の寺院の一つで、徳川三代将軍家光廟と墓所である。1651年、家光は48歳で逝去。家光は特に祖父である家康への崇敬篤く、死後も家康の側に仕えたいと願い東照宮の鬼門の位置に家康を守るようにこの大猷院を建てさせた。大猷院は、家光の息子で四大将軍家綱によって1653年に建立している。
家光は、家康公の廟所である東照宮をしのいではならないと遺命をあらわしており、大猷院は全体的に小規模で色彩や彫刻は控えめに造られている。それが、かえって重厚で幽玄さと「さび」を活かした造りになっており、自然との調和を感じさせる。全体的には黒と金と朱色を基調とした造りになっている落ち着いた雰囲気を醸し出している。
大猷院は立体的に仕切られており、門をくぐるたびに景観が替わる。これはまるで天上界へ上っていくような印象を与えてくれる。境内に林立する315基の燈籠は大名からの寄進のものである。
夜叉門には多くのバクの彫刻が施されている。像に似ているこの獣は夢を食べるとされており、晩年悪夢に悩まされた家光が悪夢を見ないようにと多く造られたと伝えられる。夜叉門の裏にある烏摩勒伽がもつ弓矢は破魔矢発祥とされる。壁面には流麗な牡丹唐草彫刻が施されている事から牡丹門とも呼ばれ、天井には日光彫の原型となる透かし彫りが施されている。
大猷院廟は、建物全体が純金に近い金箔で装飾されている所から「金閣殿」とも呼ばれる。この造りは、平泉の金色堂、京都の金閣寺、そして大猷院廟の3つのみである。この江戸時代の最高の技術の粋を集めた建築物は「権現造り」の最高傑作である。
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