種類:庭園 回遊式庭園 苔 菊池容斎
貞観園は全域を「真」「行」「草」の三区に分け、詩俳禅茶の好尚豊かな回遊式庭園である。1673年よりこの地に移ってきた村山氏の歴代当主によって作庭された庭園で、1784年に本屋・貞観堂が建てられ、庭園も趣を持つようになった。その後、補修に際して幕府の庭師、九段仁右衛門、藤井友之進の両氏を迎え、その指導により更に面目を一新された。
園名『貞観』の二文字は、天保14年、越後の需者 藍澤南城により命名された。 その出典は、中国(南朝宋)の詩人 謝康楽 の「述祖徳詩二首」の中の「遺情捨塵物、貞観丘壑美(情を遺れて塵物を捨て、丘壑の美を貞観す)」という詩句の『貞観』が由来となっている。これは「贅沢をしようという心を忘れて、そこで初めて丘や谷の美しさを正しく見ることができる。」という意味である。
三之間(仙桃之間)
中央に飾られてある古紫壇の大卓は、明治天皇北陸行幸の際に鯨波御野立所において使用されたものである。
当龍の襖の布地
1781年~1789年5代目当主が広済寺に寄進した西陣織。
二之間
歴史画の大家であり、勤皇家として有名な菊池容斎がこの部屋に滞在し多くの作品を残した。襖の「洛外嵐山」の通絵は大作である。
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