城郭の種類:平山城
天守構造:望楼型5重7階
築城年:1591年
築城主:豊臣秀吉
肥前名護屋城は、文禄・慶長の役の朝鮮出兵に伴い築城された城である。1591年10月より始められ、192年4月に秀吉が名護屋に着陣した時には既に完成していた。
築城にあっては、黒田官兵衛が縄張りを行い、加藤清正・黒田長政・小西行長など秀吉直属の武将たちの指示のもと、主に九州の大名が分担して石垣を築いた。
名護屋城は秀吉の死後、唐津城築城の際に建物の資材が運び出されたほか、一国一城令によって石垣なども破壊され、現在は遺構を残すのみと鳴っている。
天守台
天守はおそらく25m~30mあったと考えられる。天守台からは玄界灘から遠くは朝鮮半島を望む。
馬場
本丸の南側にあり、高さ12mの見事な石垣が今もよく残る。長さ100m、幅15mと細長く、ここで乗馬の訓練をしたと伝えられる。