主祀神:日本武尊、南祖坊主
社伝によると807年坂上田村麿が一宇を建て、日本武尊を祭ったのが始まりという。のち荒廃していたのを建武元年北畠顕家に従って当地に来た甲州南部氏が、甲斐白鳥の宮の祭神を遷して再興した。古くは熊野権現青龍権現の名で知られた。
また、熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きたといい。当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが、湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、湖を支配していたと伝えられる。そこで、南祖坊は、その霊験により九頭の龍に変化し約36mの身体を、十曲(とわだ)に曲げ、八郎太郎を退治たという伝説が残っている。南祖坊を青龍権現として崇め祀った名残りが今もあり、境内の熊野神社には彼の履いていたという鉄の草鞋が奉納されている。