天守:外観復元天守
城郭の種類:平山城
天守構造:5重5階地下2階 層塔型
築城年:1384年
築城主:蘆名直盛
蘆名直盛が1384年に東黒川館という館を造ったのが若松城の始まりとされる。詳細は不明であるが、15世紀中頃までには、黒川城が築城されていた。代々蘆名氏の居城であったが、1589年に伊達政宗によって攻め滅ぼされる。しかし、豊臣秀吉に会津は没収され、黒川城には蒲生氏郷が入城する。現在の遺構は氏郷によって増築された。氏郷は城下町も整備し、街の名前を黒川から若松に改名し、1593年に望楼型7重の天守を建設し、名前を鶴ヶ城とする。
江戸時代に入り、城主が入れ替わり続けるが、最終的に家光の庶弟である保科正之が入封し、松平に改名、明治維新まで会津松平家の居城となる。
明治維新の後、戊辰戦争では会津戦争の主戦場となり、会津勢は籠城し一ヶ月以上持ちこたえた。板垣退助勢の他に薩摩の援軍も駆使して烈火の如く攻め続けたがついに、落とすことは出来なかった。降伏開城後は、損傷激しくそのまま破棄された。
現在、1965年に復元された天守の他、干飯櫓や南走長屋が再建されている。天守は「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開している。瓦は明治維新前の赤い瓦に張り替えられ、昔の美しい姿を取り戻している。
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