天守:非現存
城郭の種類:平城
天守構造:不明
築城年:1583年
築城主:真田昌幸
上田城は、戦国時代の知将・真田昌幸によって築城された平城である。昌幸は武田二十四将の一人真田幸隆の息子で、大坂の陣で活躍した雪村こと真田信繁の父である。昌幸も又信玄の信頼圧い武将で戦国時代甲州軍の一躍を担った名将である。
武田家の滅亡後、独立勢力として家康に対抗し続けて上田城を築城し、関ヶ原の戦いでも信繁と共に、徳川秀忠率いる東軍の本体を引きつけて戦い、ついには秀忠を関ヶ原の戦いに参加させなかった。
関ヶ原の戦いの後、上田城は一度廃城となり破壊されるが、1628年、東軍に付いた昌幸の長男・信之の松代移封に伴い、入城した仙石忠政によって現在の城郭が築城された。
現在は石垣と西櫓が現存する他、門が再建されている。他に秘密の抜け穴とされる井戸がある。西櫓は1626年に建築されたもので長野県宝に指定されている。
本丸には真田家を祀る真田神社が鎮座する。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)