鵜沼宿の脇本陣は、坂井家が代々これを勤め、安政年間に至って坂井家に代わり野口家が勤めた。坂井家の由緒は古く1685年頃に松尾芭蕉が当家に休泊し句を詠んだと伝えられる。史料によれば、江戸時代中後期の「鵜沼宿万代記」に沸き本陣坂井半之右衛門と記され、「中山道分間延絵図」には街道に南面する切妻屋根の主屋と表門が描かれている。また、「宿村大概帳」1843年には、脇本陣坂井家、門構玄関付建坪75坪と記され、その間取りが「鵜沼宿家並絵図」1864年に詳細が描かれている。
それを元に幕末期の脇本陣坂井家を復元している。
坂井家は「表間口十間半 奥行十一間 惣坪二百二十五坪」で、本陣と比べて規模は小さいものの門と玄関、上段の間を備える格式高い建物の特徴を見ることができる。畳の間は上段の間を含め13、食事の配膳用や荷物用に使用されたと思われる板間、3つの湯殿、庭などを設けてある。
玄関や門、上段の間は太田宿脇本陣林家などを参考にしている。