𠮷水神社は、かつては𠮷水院といい、天武天皇の白鳳学問に修行者が創建した格式の高い修験宗の僧坊であった。明治時代に神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であった事から、明治8年に𠮷水神社と改められた。1185年ここ𠮷水院に兄頼朝の追手に逃れた源義経と静御前が弁慶等と共に隠れ住んでいた。悲運に生きた一代の英雄と住人との悲恋物語を後世へ伝えてきた数々の遺品が𠮷水神社には残されている。
1336年後醍醐天皇が京の花山院から行幸され、𠮷水院宗信法印の援護のもと𠮷水院を南朝の皇居とされていた。南朝四代五十七年の歴史はここに始まった。現存する唯一の行宮となっている。
1593年豊臣秀吉が吉野で盛大な花見の宴をした際に𠮷水神社を本陣とし、数日間滞在した。歌の会、お茶の会、お能の会などを開いて満天下に権勢を示した。
また、日本住宅建築史上最古の書院として、ユネスコより世界遺産として登録された書院があり、現在の日本住宅の源流をなす実例として数々の珍しい手法がみられる。義経・後醍醐天皇・豊臣秀吉それぞれの時代の遺品や宝物が書院内に展示してある。