種類:服部半蔵 忍者 歴史観光
半蔵門は、現在の皇居の門の一つ。江戸時代は江戸城西の丸の入り口の一つで甲州街道とつながっていた。服部半蔵と彼の一族はこの地に留まり江戸を警護したと伝えられる。彼らの屋敷があったのは主に麹町の近辺である。当時の面影はここには一切無い。
西念寺は、浄土宗の寺院。日本史上最も有名な忍者、服部半蔵の墓と遺品がある。服部半蔵は徳川家康の家臣で槍の名手として、また伊賀忍者の頭領として知られる。家康の長男信康の切腹の際に介錯を命ぜられた。その後、信康の遺髪を肌身離さず持ち続け、1590年に家康が江戸に入った際、麹町清水谷に庵居を設け、信康の遺髪を埋め五輪塔を建て旧主の霊を弔ったのが始まりである。1634年、江戸城外郭拡張に伴い、現在の地に移転した。
伊賀忍者の棟梁で知られる服部半蔵正成は、正確には忍者ではなく徳川家康の侍の一人である。彼の父初代服部半蔵は優秀な忍者であったようだが、服部半蔵正成は槍の名手で知られ「鬼の半蔵」の異名を持った。