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敢國神社

観光案内

敢國神社(あえくにじんじゃ)は、伊賀国一宮。三重県伊賀市にある神社。創建は658年。伊賀衆と呼ばれる各地の棟梁が集まって談合を行う場所であったとも伝えられる。特に後世有名となる服部一族が取り仕切った「黒党祭」の衣装が黒装束である。祭神は彦命は四道将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏を称し、大彦命を祖神として祀ったという。また、それとは別に少彦名命を祀る秦氏一族があり、これら2柱をもって創建されたとする。創建当初は、敢國神社南方の南宮山山頂付近に祀られたが、後に現在地(南宮山山麓)に遷されたという。その後、山頂附近の社殿跡には南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られた為、その山が「南宮山」と呼ばれたともいう。そして977年、金山比咩命の社殿前の神木に言葉が現れたことにより、金山比咩命を敢國神社に合祀したとしている。

参拝者情報
駐車場【有】
トイレ【有】

アクセス
0. 上野市駅から高速バスで敢國神社へ。


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周囲の地図情報 敢國神社

詳細案内

敢國神社
主祭神:大彦命と少彦名命、金山比咩命
例祭:獅子神楽舞初式(1月3日)、獅子神楽舞上祭(4月17日)、例祭(12月5日)

敢國神社は、南宮山の麓に鎮座し、伊賀国一宮とされ、創建は658年。現在は大彦命と少彦名命、金山比咩命を祀る。伊賀地域に広く伝播する獅子神楽に大きな影響を与えた「敢國神社の獅子舞」は、県指定無形民族文化財に指定されている。伊賀の国は、複数の士族が連合(一味同心)し、談合で地域の平和を守っていました。彼らは他の地域から「伊賀衆」と呼ばれる事もあった。ここは祭礼を通じだ伊賀衆の結集の場となっていたと考えられる。

神社に伝わる「黒党祭」と呼ばれる祭りは、後に服部半蔵を輩出することになる服部一族の私的な祭りであったとされる。起源は定かでは無いが神事に携わる者は服部一族に限られ、黒装束に身を固める慣わしであった。敢國神社は、天正伊賀の乱の後、一時荒廃したが、その後再興に努めたのが、修験者の小天狗清蔵や藤堂藩初代藤堂高虎である。修験道は忍術に影響を与え、藤堂藩は「忍びの衆」とも呼ばれた伊賀者を召抱えていた。その2人が再興に尽くした事は伊賀者の氏神であった事と関係しているかもしれない。