あらぎ島は、1655年に山保田組の初代大庄屋であった笠松左太夫によって開発された新田。有田川にそって弧状をなす扇形とも表現される棚田は、全国的にも価値の高い景観である。
あらぎ島及び三田・清水の農山村景観は、大部分を山間地が占める厳しい自然条件下にあって、有田川の蛇行と侵食によって形成された河岸段丘を舞台に、稲作や林業、和紙生産などこれまでの人々の活動によって形成された独自性の高い文化的景観です。この地域は1042年の高野山文書に記載されてるなど早くから開発が行われてきたが、江戸時代には大庄屋笠松左太夫による集落整備と耕地開発が行われた。笠松は、1655年に3キロ以上にわたって上湯用水路を開削し、あらぎ島において新田開発を行った。
この景観は、何千年にもわたり絶え間なく繰り返されてきた人々の営みによって生み出され、現在に受け継がれてきた貴重な文化遺産であり、あらぎ島を中心とした一体性のある農山村景観は、全国的に高く評価されている。