朝日文左衛門重章は、学芸、文化が開花した1691年から1717年までの26年間にわたり、日記「おうむろうちゅうき」を記したことで知られる。この地はその屋敷跡にあたる。
自らの生活や見聞した事、世相などをそのまま記した「おうむろうちゅうき」は元禄の人々の生活を知る貴重な文献である。
朝日氏は、尾張徳川家に仕える100石取りの武士で、御畳奉行を拝命したことにより、役料40俵が支給された。文左衛門は非番の日には、好きな魚取り、芝居などに熱を揚げ、物見高く城下の内外を往来していた事が記録されている。
周辺の白壁・主税町界隈は、中級武士の町から明治以降は、陶磁器産業や企業家の住まいが集積する街となった。現在は文化のみちとして知られる。