岩谷観音は、古くからこの名で親しまれてきたこの地は民衆の素朴な霊場です。それは、平安末期から鎌倉期にかけて五十辺の「館」に居館をかまえてきた豪族、伊賀良目氏が持仏の聖観音を安置した「窟観音」に始まるものと思われまれが、遠い都の貴族たち三十三観音巡拝の風が地方の民衆にまで普及するにつれて、西国三十三観音の磨崖仏が彫られ、現在「岩谷観音」が形成されました。その時期1709年~1710年前後と思われます。ともあれ、市内唯一の磨崖仏であり、かつ三十三観音のほか六十体にもおよぶ供養仏が群像をなしている偉観は他に類例が少なく、そのできばえも素直で美しく、民衆の信仰の敬虔なこころを良く伝えている。