築城:1469年岩松家純
状況:城址
金山城は、岩松(新田)家純が1469年に築城したものが基礎となっている。その後、下克上によって実質的な城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となった。その後、上杉氏、武田氏、北条氏、佐竹氏など戦国時代の雄に取り囲まれた中、その攻略に絶えたが、北条氏に城を明け渡し、その後、1584年の北条氏滅亡と共には以上となる。
物見台下土橋から竪堀から石敷きの通路があり、土橋から見えないように工夫されていた。
虎口は、城や城内の各曲輪への出口をさす。敵の侵攻から城を守る重要な場所であり、門・柵・塀・土塁・石垣などで厳重に守られている。虎口の構えは格の高さを示す空間となっている。
金山城の大手虎口は、一大防御拠点として、また城の格を示す場所である。大手虎口は谷地形を利用して築かれ、月ノ池脇から正面土塁まで大規模な構えとなっている。月ノ池脇の門から続く緩やかに曲げた大手通路、それを守るため見下ろすように両側に配した壇状の曲輪とそこを守り場とした兵達の各種建物、大手通路の行く手をふさぐように築かれた正面土塁、横矢を射るために築かれた壇状の土塁などがあった。
日ノ池は15mx16.5mの円形の池で、石垣や石敷を使い谷を堰き止め水を貯めていた。築城以前から神聖な場所で知られる。