の歴史などをまとめた江戸時代の「石見銀山旧記」には、「石見国馬路村の灘古柳鞆岩の浦へ売船多く来た」とあり、銀石を買い付ける船で賜った様子
が書かれている。入り江には船の係留用の網を結んだと伝える自然の岩盤をくり抜いた「鼻ぐり岩」が数ヶ所残ってる。
港湾集落は地形に制約された地割をよく留めており、港と密接に関連した番屋跡、共同井戸、鉱石を貯蔵したと伝えられる洞窟跡跡が残っている。また
現在は伝統的な工法によって家屋を含む25棟の建築物等が良好な集落景観を形成している。
港の北側の小島には銀山を開発した神屋寿禎が1535年に勧請したと伝えられる弁才天を祀る「鵜島厳島神社」がある。