1840年のアヘン戦争以来、日本では列強諸国に対抗するために軍事力の強化が課題となる。その時に、幕府では韮山代官である江川英龍をはじめとする蘭学に通じた官僚により、鉄製大砲を鋳造するために反射炉の建設が始まった。
当初下田に建設されたが、アメリカ軍の水兵の敷地内潜入により、韮山に移す。1855年に施工し、息子の英敏の代の1867年に、連双2基4炉の反射炉が完成した。韮山反射炉は稼動を終えたのち150年以上も補修・修理を重ね現在も残る国内唯一の反射炉となっており、明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業として世界遺産に登録されている。