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如意輪寺

観光案内

如意輪寺(にょういりんじ)は、奈良県吉野にある古刹。南北朝時代に後醍醐天皇が行宮を定めた際に勅願所とされた。4年後崩御して裏山に葬られた。多宝塔やまた楠正成の長男正行の辞世の歌などが刻まれた扉などが宝物殿に展示されている。

参拝者情報
駐車場【有】
トイレ【有】
拝観料:400円
時間:9:00~16:00

アクセス
近鉄吉野線吉野駅からロープウェイで吉野へ。そこから徒歩40分。


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周囲の地図情報 如意輪寺

詳細案内

如意輪寺
如意輪寺は905年日蔵上人の開基で、本尊は如意輪観世音菩薩。第97代後村上天皇の1346年に楠正行(正成の子)が四条瞼の決戦に向う時、如意輪寺本堂の扉に鏃をもって辞世の句を残したことは有名でその扉は宝物殿で拝観する事が出来る。
境内を少し上がると後醍醐天皇の陵があり、足利尊氏に都を追われた天皇に都を憧れつつ4年間吉野山で過ごしたが、ついに帰る事無く1339年に崩御された。

天皇の意思により京都を望んで葬られた、日本唯一の北面の陵である。

専横の北条幕府を倒し、建武中興を成し遂げた後醍醐天皇は、足利氏との争いの為に京都を逃れ、吉野山行幸以来4年間、吉野の行宮ですごす。1339年に病床に就き「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂は常に北闕(京都)の天を望まん」と都を憧れ、ついに崩御されるた。天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが塔尾陵で、次帝後村上天皇の1347年12月に楠正行(楠正成の子)の一族郎党143人が四条瞼(大阪府)の決戦に向うにあたり、吉野の皇居に天に詣でて髻を切って仏前に奉納、過去帳に姓名を記し、最後に正行は鏃をもって、御堂の扉に

「かへらじとかねておもうへば掛弓なきかずにいる名をぞといむる」と辞世の句を残して四条瞼に向うが破れ、弟の正時と共に再期を迎える。

現在の建物は約350年前の再建で、正行の歌をとどめた