親不知は北陸最大の難所で知られる。「親不知」の地名は、危険な浪打際を通るときは、親は子を、子は親をかえりみる余裕が無かったことから「親不知・子不知」と呼ばれるようになった。一説には、源平合戦の時代に平頼盛夫人が夫を慕ってこの地を通りかかった際、二歳の愛児を荒波にさらわれた悲しみにのあまりに詠んだ歌が由来とも言われる。 おやしらず 子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく 親不知ずい道は1912年に作られたレンガ造りのトンネル。 また、松尾芭蕉が奥の細道でこの地を訪れた時に、市振の桔梗屋に宿泊し、「一家に、遊女もねたり萩のつき」と詠んでいる。