六世紀の初め頃、大和朝廷の都作りの労役で、故郷土佐国を離れこの地に召しだされたものの、任務を負え帰郷するときには、朝廷の援助なく帰郷がかなわず、この地に住み着いたものがいたところから土佐と名づけられたと思われる。
故郷を離れ生きて行く生活を余儀なくされた人達のたった一つの自由な意思は故郷の名前を今の場所につけることであった。古代、中世を経て近世に入り植村氏が高取城に入城するに伴い土佐はその城下町として政治、経済、産業の中心となり、町筋には商家が立ち並び、伊勢屋、池田屋、観音寺やさつまや等が名を連ねた。細長く続く道筋は、往時の面影を残しせせらぎの音は訪れる人の心を癒してくれる。